春の味覚、筍(たけのこ)の初物で呑む。
4月5日
 晩酌の肴の材料を揃える。

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1 フキの若い葉(庭で採る)・・・天ぷらにする  2 尾赤アジ・ホタルイカの刺身 3 タケノコ・・・茹でて刺身に

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 木の芽(庭の山椒)を添えて出来上がり


 完成。天ぷらは揚げたてを食べるので、ここにはない。次へ。

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 フキの葉の天ぷら・・・少し苦味があるのがいい、旨い。
 
 春の味覚、日本酒に合う。タケノコは初物である。木の芽の香りと味が、相まってタケノコが美味い。
 
 2014年度、センター試験漢文の問題に、タケノコについての文章が出題された。
 
 中国江南地方の話しで、毎年春の季節になると、タケノコの身を包む皮が土から少し顔を出した小さいものを採って食べる。
大きくなりかかったものは採らない。美味くなくて見捨てられる。
 
 そのため、タケノコのを無事に生きられるのである。しかし、美味いものは取り尽くされてしまうことになる。その生を全うできない。竹の生から見れば、見捨てられた竹の方が幸せといえる。成長し、立派な青竹になって役立つこともある。天寿を全うできている。

 人間も同じことがあるのではないか。何が幸いするかわからない。荘子の「無用の用」に言及し、結びつけた文章になっている。

 私のもう一つのブログ、「センター試験満点作戦 国語」から引用する。
      ↓
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*ここで、問6の三段落にしたがっての大意。

第一段落
 江南の人々は筍を食べるのを習慣としている。春にタケノコの若芽を採って食べる。
 あるものは蒸したり煮たりしてスープにし、穂先のやわらかい皮やお茶を食卓に並べる。

第二段落
 事を好む者は清雅なものへの嗜好から見て成長し過ぎたものは採らない。
 甘い時期が来ると、顧みず切り取ってゆく。苦くて食品に入らないものだけが、筍として生を全うする(生き残る)。
 渓谷や山の中のものは収穫されず、Ⅰ苦くて棄てられるものである。しかし、Ⅱ甘いものは取り尽くされしまう。それならば、Ⅲ甘いものは自らを殺しているのに近いのだ。
 しかし、Ⅳ苦いものは棄てられるといっても、切り取られずにすんだことと同じようなことだ。

第三段落
 そもそも、甘いものを尊重するが、苦いものは身を全うすることができる。世は貴いものは取り上げられ、賤しいものは棄てられないものはない。
 しかし、取り上げられるものが幸いではなくて、棄てられるものが幸いであるのを知ることもある。これが、荘子のいわゆる「無用の用」と同じ考え方の類ではなかろうか。
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 *ちょっと、強引な感じもするが、不遇な庶民には慰めになる言葉である。 

 実際、大きくなり過ぎたものは竹藪に残っているのを見かける。そいつは幸せなのだ。
 でも、やはり、若いタケノコを食べたい!


  

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