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母の日と金子みすゞ
5月12日
 5月の第2日曜日、母の日である。
 
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 この本の中に
 金子みすゞの、こんな詩がある。

  さびしいとき


  私がさびしいときに、
  よその人は知らないの。

  私がさびしいときに、
  お友だちは笑うの。

  私がさびしいときに、
  お母さんはやさしいの。

  私がさびしいときに、
  仏さまはさびしいの。


・・・・・・・・・・・・・・
 *私なりの、感想です。
 
 何才になっても、黙っていてもわかってくれる「母のやさしさ」が懐かしいです。
 
 「仏さまはさびしいの」は、仏さまが「寄り添ってくれるの」という意味で、信仰心ですが、これが救いとなっているのです。それだけ、みすゞの一層の「さびしさ」が伝わってきます。

 人生には、悲しみ・苦しみがあります。「仏さまはいつもそういうあなたを見ていますよ」というメッセージに気づけば、それだけで「何とか生きていけるのよ」と言い聞かせているようで切ないです。でも、これが人生の真相かも知れません。

 また、こんな詩もある。
  
  こころ


  お母さまは
  大人で大きいけれど、
  お母さまの
  おこころはちいさい。

  だって、お母さまはいいました、
  ちいさい私でいっぱいだって。

  私は子供で
  ちいさいけれど、
  ちいさい私の
  こころは大きい。

  だって、大きいお母さまで、
  まだいっぱいにならないで、
  いろんな事をおもうから。 


 *赤ちゃんは、かたときも、お母さんから離れては生きていくことができないのです。お母さんは赤ちゃんのことでいっぱいいっぱいなのです。他のことは考えられないのです。母性のけなげさです。

 赤ちゃんの私に、「これからお母さんからいっぱい学ぶの、だからこころは大きいの」と言わせる。そこには、みすゞの子供の成長を願うやさしいまなざしがあります。
 
 不幸な結婚でしたが、娘を一人生んでいます。26才でこの世を去りました。彼女の詩は、小さなものに愛情深く目を向けるピュアな心を感じさせるものが多い。子供だけが見える妖精になって花園を飛んでいるような気がします。

・・・・・・・・・・
 私の母は94才、介護病院に入っている。おむつをした赤ちゃんに戻っている。もう、子供の私を忘れて私を見てはいない。母のやさしさが思い出となってしまった。
   
   母の日に 子供に帰る 老いかなし
 
 一方、父のことを私は忘れていた。5月7日が命日なのに。32年前のことで、ゴールデンウイークに私は北アルプスの岳沢にテントを張り、残雪の西穂高と明神を登って帰って来たところだった。

 親父というのは、母親と違って忘れ去られるものなのかも知れません。わたしも親父です。親父は淋しいです。 
 
 *前に、この本を読んでいたので、金子みすゞの母に触れていたところの詩を読み返し、母の日にちなんで書きました。著者の佐治晴夫氏は物理学者です。理系的視点でとらえたみすゞ論は新鮮です。
 
 カーネーションではないが、庭のバラの花を取る。
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   薔薇の花 肴に呑むか 母の日は
   
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雑踏の中で涙。
数年前、まだ認知症ではなかったお袋を弟と見舞った時
「お前「なんか来なくてもいい」
激しい憎悪の目で叫んだ。
帰途 渋谷駅に向かう雑踏に紛れて涙した。
| URL | 2019/05/12/Sun 15:49 [EDIT]

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