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姜尚中の本を読む。息子さんの死について②
2月19日
  
 そこで、その後、息子さんの死を公表し、触発されたという小説、2013年に出版した「」を読む気になった。少し古く近くの本屋にはないので、アマゾン・ネットで取り寄せる。翌日には届いた。便利になったものだ。
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 書き出しは、「青年は突然、わたしの前に姿を現した。・・・一瞬、わたしは息をのみ、思わず"あの子"の名前を口走りそうになった。・・ただ、次の瞬間、別人であるとわかったけれども・・ ・・・大学生の西山直広といいます。先生のファンです。・・・」と始まる。
 
 *「あの子」は亡くなった姜尚中の息子を指す。息子の名前の「尚大(なおひろ)」を「直広」に変えている。親友を亡くして悩み、大学教授に手紙とメールで相談を持ちかける主人公の青年の名前である。
 二人の魂の交流を描き、自身の喪失体験から悩める若者へのメッセージとなっている。

 姜氏は別の本やインタビューで、
 「漱石の『こころ』に想を得て書いた。・・・主人公の青年には、亡くなった私の息子の面影がこめられているのです。・・・(漱石)の『こころ』の私が先生の死をまるごと受け取り、その記憶を語り継いだのと同じように。・・・私(姜)の中に生きている息子のともしびを、いついつまでもともしていたかったのです。
 
 漱石の『こころ』は、死を選んだ先生が若者に託すという形をとっているが、現代に置きかえると、ちょっと重い気もするので、若者から相談を持ちかけられ、対話しながら一緒に成長していくという構造にしました。・・・若者には『三四郎』のイメージも入っています。
 
 ・・・東日本大震災の取材で被災地を訪れ、膨大な死と遭遇した。その経験も、物語の方向性を決定させた。・・・書くのはつらかったけど、これでよかった。」と語っている。

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 読み終わって感じたことは、一見感動的だが違和感!

 東日本大震災でのボランティアの遺体引き上げ、演劇活動などの感動的な、健全な・真面目な若者の青春が描かれているが、上品すぎて現代のすべての若者の悩みには合ってはいない気がする。
 
 *「死と生きることの意味」が語られているが、観念的感傷的で実感として伝わってこなかった。それは私が若者でなく老人だからか。
 
 特に、肝心な息子さんの悩みには答えていないのだ。
 小説では最後の方に、

 「息子は君と同じように真面目でした。しかし、不治のような心の病に懊悩し、『こんな悲惨にあっても、それでも生きていかなければならないのか』と問いつづけた果てに帰らぬ人となりました。・・・

 ・・・煩悶の中で息子は、ひととき世界の破滅とみずからの破滅を願ったことがあります。・・・苦悶し、悩みつづけました。しかし、その果てにこの世界を受け入れ、柔和で、優しい、無垢な表情を取り戻しました。
 だが、まさしく生まれ変わり、回心をとげたと思ったとき、『生きとし生けるもの、末永く元気で』という言葉を残して帰らぬ人になったのです。

  ・・・わたしは余りの悲しさに、生きる力さえなくしてしまいそうでした。・・・ 」 

 *ここで、姜氏の悲しみを思うと、申し訳ないが、見解を述べたい。
 フィクションだがノンフィクション風である。公に出版するのだから『不治のような心の病』と曖昧に表現するのはいかがなものか。 勝手な推測すれば、具体的な病名を挙げてはいないが、『世界の破滅・・・』という妄想的な言葉と『優しい・・・表情』という組み合わせから統合失調症とも考えられる。自殺の恐れがあるのだ。

 「・・・(息子が最後に)『生きとし生けるもの、末永く元気で』 自らの死をもって残したこの言葉を、わたしは否定することができませんでした。それは、『生きろ』と訴えているからです。・・・
 *この言葉も不自然である。

 ・・・今では、息子の言葉は、あの大震災で亡くなった二万人近くの方々、そして原発事故で絶望や流離の果てに亡くなった人々の遺言ではないかと思うようになりました。
 直広くん、
『末永く元気で』
 わたしもそうします。
 そして生きて生きて、生き抜いた果てに、息子と再会することができれば・・・・・。父は立派にお前の言葉を守ったよと、報告したいです。
                姜尚中      」とあり、終わっている。

 *きれいな、感傷的な終わり方だ。陶酔的でもある。  
 心の病に苦しんでいる息子さんをそっちのけで、違う普通の若者へのメッセージを書いて作品化しているのが不思議である。ここには、彼なりの何か思いがあるのだろうか。

 さらに、ネットで、彼の言葉を調べてみた。
 「このままでは、息子の生きてきた時間が無意味なものになってしまうと考えて、極限の苦しみを経て、自分の生き方を問い直す息子の残した言葉をそのまま伝える『二度生まれ』の物語にしたいと思い、メルヘンとして生まれ変わった息子と自分へのメッセージとして書いた。」とある。

 *息子さんの死の本質を避けて理屈を作ってベストセラー狙いの出版化の感は否めない。善意に考えれば悲しみを乗り越えるためのメルヘンか。
 
 大震災が起きた時には息子さんはこの世にはいなかったのに、結びつけてエンタメとはいえ、この小説の秀徹な構想に、彼の裏の心の冷徹さを見てしまう私は冷酷か。
 潜水での遺体の引き上げのリアルな描写は実際の取材とはいえ、ネタにできる神経を疑ってしまう。
 
 プライベートなことだから具体的には書きたくはないだろうが、息子さんのことを曖昧に美しくそれとなく思わせぶりに語るのには苛立ちを覚える。勉強家なのだから精神科的勉強をして息子さんの苦しみを具体的に書いて心の病に悩む者達への本を出すのが、ベストセラーにはならないかもしれないが、作家的苦悩の良だろうと思うのだが。

 また、彼はこうも言っている。「今、政治に興味が持てなくて、政治学者として何かを批評し、裁くことが。息子もそういう僕が嫌いだったんです。裁いてはいけない。僕のこれからの方向は、受け入れていくことにあるという気がしている。受け入れる力をくれたのはこの息子の言葉です。私も生まれ変わったつもりで人生を歩んでいきたい、二度生まれということです。」

 *ここで、父と息子の諍いがあったこと、父への不信感を抱いていたことを思わず吐露してしまったか。息子さんは父親の偽善を見抜いていたのか。死はそのことと関係があるのかもしれない。相変わらず曖昧な言い方である。

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 そこで、一応、他の本も読んでみた。
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 2008年刊のベストセラーになった「悩む力」を読む。
 *その時、まだ息子さんは生きていたのだ。後で、「息子との合作で出来た」と語っているが、息子さんが精神病で悩んでいたことは筆者自身の悩みでもあったことを言っているのか。
 
 2012年刊の「続・悩む力」は20011年の3・11大震災の悲劇がきっかけとなったというが、すでに亡くなっている息子さんのことには触れていない。 
 
 そこで、前作の「悩む力」について書いている。
 「私が、四年前に・・・書いたのは、そんな現実のただなかでも、卑屈にならず、絶望せず、悩み抜くことによって、自らの「生きる力」を取りもどして欲しいという一念からでした。」と。*それは、息子へのメッセージだったとも受け取れる。

 そして、「続・・・」では、3・11の事態を受けて、楽観論や幸福論の限界を言い、「死や不幸、悲しみや苦痛、悲惨な出来事から目をそらさず、しかし、だからこそ、人生を存分に生きる道筋を示すことだった。」という。
 
 また、イーグルトンの『宗教とは何か』を引用して、「それは、『人間がはかなく死ぬ運命にあるということを念頭に置いて、あくまでも謙虚に人間的なるものを肯定する』ということにほかならない」という。
 さらに、「こうした悲劇的ヒューマニズムを受け入れ、私も生まれ変わったつもりで、これからの人生を歩んでいきたい。」と。

 *筆者には、息子さんの死を隠し、その真実を語らない「心の闇」があるのを感じる。悩む自分のために、本の中に答えを求めて心酔する漱石などの言葉を引用し書いている感じがする。 
 
 *知的なカモフラージュが目立つだけで、私には何を言っているのか分からない。それこそ題名の力と知的カモフラージュだけでミリオンセラーになったのではないか。一般読者はどうなのだろうか。
 はたして、「悩む力」は「生きる力」となったのだろうか。老人のせいか、私には得るものがなかった。
 
 2013年の小説「心」で、息子さんことに触れる。いわゆる「二度生まれ」、生まれ変わった息子さんをイメージして書く。
 
 2014年刊の「心の力」も、息子さんことにそれとなく触れているが具体的ではない。

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 *「心の闇」を語らず、感傷的・ナルシズム的に息子さんのことを触れている違和感に、彼の作品の胡散臭さを見てしまった。

 尚、首都大学東京の教授 鄭大均(ていたいきん)の、「姜尚中を批判する」(飛鳥新社)という本がある。右系の出版社であるが、客観的で納得できるものがあった。
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 姜尚中の「在日」と「母ーオモニー」の作品を通して、読者を魅了する知的装飾と情緒性やロマンチシズム仕掛けで大衆化に成功している巧さがあると言い、彼の欺瞞性を批判している。
 
 *鄭氏は、「妻からは他人の批判をするのはやめろと再三言われたが、・・・」と、また、「東日本大震災はわれわれに多くのことを問いかけているが、岩手県生まれの筆者が宮沢賢治の『雨にも負けず』にこんなに親近感を覚えたことはない。」と巻末に書いている。
 鄭氏に私の感覚と通じるものがあり、親近感を覚えた。
 
 また、友人であった左系佐高信も、「母へ退行」・「恍惚と転進」という言葉で批判している。*的を突いていると思う。

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     白秋も 心の闇を 葬りて
     逆縁を 活かす(生かす)作品 鉄仮面か 
 *この二句に私の批判が凝縮されています。
 
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 暇にまかせて、彼の曖昧な表現に、そのミステリーを解き明かしたくて、プライベートなところに立ち入ってしまった。
 結果、勝手な推測的な批判なってしまったがいかがなものでしょうか。 *カン様フアンの方、ご容赦を! 
 
 逆縁は親にとって酷くつらいものですが、批判する私の方が冷酷なのでしょうか。
 
 *この記事を書き始めてから、私は姜尚中の呪いかのように体調が悪くなった。写真の彼のが恐ろしく見えるのは気のせいだけであろうか。

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