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嵐山光三郎と沢田研二 コバルトの季節の中で
11月5日
 
嵐山光三郎の本を読む。
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 宗教の無力の今、「死ぬための教養」が必要だ。先人たちの死についての深い考察の本を吟味熟読し、自分なりに納得するしかないのだ。四十六冊を厳選し語っている。教養をつけるということは自分が死んでいく覚悟と認識である。来世などあるはずがない。死は恐怖であるが愉しみでもある。
 *ここでは、61才の嵐山は先人たちの書物で納得しようと準備している段階である。

   教養が 死を受け入れる 老支度   

 15年後の76才老いてますます官能的」では、文壇通の嵐山だけに大正・昭和の女流作家たちなどの不倫のエネルギー、フェロモン、心中の凄さを官能的生き方を面白く語っている。いよいよ華やぐ女性の老境に学ぶとある。
 
 特に、宇野千代のもてかたはすごい。文壇でも有名な男たちのアイドルである。彼女のフェロモンに狂い官能を堪能した男が、今東光始め数人いるのだ。そのことに寂聴(瀬戸内晴美)が詳しい。98才で大往生、フリンの家元であるという。
 
 官能とは感覚的想念。人間のこころに本来的にそなわっている歓喜、永遠不変のリズムで生きているからこそ感じられるエクスタシー。性欲は官能の最たるものである。死ぬ行為は、人間が最後に体験する官能である。

 70才を過ぎると、「第三の人生」がはじまる。体力が衰えて、病気をし死を意識すると、かえって官能が目覚める。欲望に生きる、官能を追い求めることにした。どんどんグレて遊ぶのだ。調子が悪いときは辛抱してしのぎ、また遊ぶのだ。死は楽し、「しのぐ時間」はなくなるよ。 *同感!
 
   老境に 官能目覚め 生楽し

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 今の季節に合ういい歌である。色気のある声である。
 
 しかし、沢田研二のコンサート、今回のこの老人病的ヒステリー性ドタキャンは残念である。記者会見の映像を見ると白髪で髭もじゃの老人である。意地があるという美学を語っているが、彼も70才、老醜の感が否めない。人格的に、官能的に齢をとるというのは難しいものである。 
 
 本の中で嵐山光三郎は、「ジュリーの愛称で一世をフービした沢田研二は、69歳にして、ふたたび人気を盛り返し、トシをとったぶんかえってエロティックに瞳が濡れる。スリムだった往時に比して体重が増えた。・・・私もまた若いころより二十キロほど体重が増えて腹が出ているのが目立つ。ダイエットにはげんでいるが、・・」と言っている。彼の官能性を認めているが、それは去年のことである。
 
 今回の件でジュリー官能は消え、フアンは身を引いてしまうかもしれない。どうであろうか。
 *佐藤愛子、樹木希林さんのように美しい老婦人は多いが、特に男は美しい老人になるのは難しいようだ。

    官能も 教養のうち 老人よ

 *同じ大学の二年先輩の嵐山光三郎お兄さんは転んでもただでは起きぬ作家である。ケガをし、病気になり、何度も入院したことをネタにしている作家魂は見事である。原稿に向かう官能の姿が浮かぶ。
    
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 ゆずポン酢を仕込む。晩酌・・・もつ煮込み、他。
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   柚子の香に 立冬も近し 秋はゆく
   酒に酔う これも官能 沁みわたる
   老の目に 季の移ろいも 官能美
    
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青空や 朱色の柿に 秋はゆく
10月29日
 このところ、秋晴れの青空が続く。気持ちがいい。散歩に出る。 
 
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   青空や 朱色の柿に 秋はゆく

 つい先日まで一面、黄金色だった田んぼは、刈り取られ、あとの株から青々とした稲が出ている。ひこばえである。これは秋の季語でひつじ田というそうだ。
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   ひつじ田に 晩秋の影 目に留めし

 途中、ギンナンを買う300円で筆柿がおまけでついた。渋柿なので焼酎に浸す。 
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 今日の肴にする。ししとう・椎茸も添える
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   銀杏や はじけて瑠璃の 美しき 


10月30日
 いつもの山道を通って、山を見に行く。私の好きな場所である。
 
 ミカンの色づく道を行く。
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 大山、丹沢山塊を望む。
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 薄っすらと富士を望む。
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 箱根連山を望む。
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   薄藍の 空を仰ぎて 山なみや

 レンコン入りの煮物          豚肉のステーキ
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10月31日
 悲しいことがあった。その葬儀で妻は東京の中野に行く。私は病人の介護で残る。
 
 外に出れないので、数年前に買った本を読み返す。
 嵐山光三郎が還暦の頃に書いた「死ぬための教養」である。 死の前では、宗教は無力か。自己の終焉をどう納得するか。そのためには教養が必要だという。
 結局は、読書から学ぶということである。無職になってからは読書量は増えた。まだ、その教養はない。

  食と運動だけではなく、特に老境には読書という知的活動が大事であると思う。それが出来る老人でありたい。

    老境に 食と運動 読書もだ

 もう、11月だ。よく言うけれど、年をとると時間が経つのが速い。晩秋から冬の低山歩きはまた楽しい。死を納得するためにも大いに楽しむよ!

 *それから15年後の76才の嵐山光三郎の最新刊 「老いてますます官能的」を、74才の私が今読んでいる。
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